映画に感謝を捧ぐ! 「悪魔のような女(1996年版)」
映画弁護人GHM(西村哲也)です。
今回はジェレマイア・チェチック監督の
「悪魔のような女(1996年版)」に感謝を捧げようと思います。
ピエール・ボワローとトーマス・ナルスジャックの
同名小説をもとにして1996年に作られた本作は
「サスペンス映画と時代&地域性の関係」を写し出す
作品の一つであります。
1955年版に作られた
フランス映画版「悪魔のような女」に従いつつ
映像・ストーリー・キャラクターの神秘性を抑制し
ホラー的恐怖・同性愛ムード・見世物性を強化するするという試みは
私に「フランスとアメリカの映画的相違点」
「どんでん返しサスペンス再映画化」の法則
「映像機材の発展がサスペンス要素を減退させる」現象
サスペンス映画における「抽象化」の重要性を
目の当たりにする機会をもたらしました。
(1955年版の「不気味な後味に満ちた決着&幕切れ」に対抗するため?
アクション映画と恋愛映画を融合させたかのような
雰囲気を感じさせる幕切れへと着地している点も見逃せません。)
まさに「悪魔のような女」と1990年代アメリカ映画の潮流が
交わることによって生を受けた
歴史資料的作品であると言えるでしょう。
同性愛的結びつきと疑心の間で葛藤するヒロイン2人と
暇つぶし映画てき明瞭さと神秘性・文学と大衆娯楽の間でせめぎ合う
ストーリー&演出が重なり合う感覚が
1955年版とは異なる恐怖&哀愁を感じさせる本作と
生きて映画を見ることの出来る幸せに深い感謝を!!!。