映画に感謝を捧ぐ! 「殺人者たち」
映画弁護人GHM(西村哲也)です。
今回はドン・シーゲル監督の「殺人者たち」に
感謝を捧げようと思います。
アーネスト・ヘミングウェイの小説「殺し屋たち」を
もとにして1964年に作られた本作は
野性&技巧溢れる加工術に彩られた殺し屋映画であります。
「無抵抗のまま殺し屋2人に殺害された男」を
状況説明を極限まで抑制した原作を
車と銃の見せ方にこだわった乗り物&銃撃アクション
軽快にして生々しい肉弾アクション
殺し屋映画、犯罪映画、探偵小説の技法を融合させながら
「殺し屋と標的を結ぶ見えない絆」と
「悪女に翻弄される男の悲哀」を追求した脚色術によって
男の野獣性と悲哀に満ちたアクション映画へと変異させるという試みは
私に「精神的に死んだまま生き続ける男」
「救済&審判として描かれる殺人」
「衝動のまま他者を操る&スリルを求める人間の末路」を
映画的に表現する技法の一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。
(L・マービンの男臭、A・ディキンソンの毒婦的輝き
悲劇的でありながらも「爽快感&解放感」を感じさせる幕切れが
作品の味わいと文学性を高めている点も見逃せません。)
まさに「文学&哀歌系殺し屋映画」の雄と呼ぶにふさわしい
作品であると言えるでしょう。
一人の女性に翻弄され、破滅への道を進む男たちと
映像技と野獣性に満ちた暴力描写によって
短編小説より生じた映像作品が
長編級のスケール感、スリル、哀愁を持つ存在へと
進化していく姿に圧倒される本作と
生きて映画を見ることのできる幸せに深い感謝を!!!。