映画に感謝を捧ぐ! 「巴里の空の下セーヌは流れる」
映画弁護人GHM(西村哲也)です。
今回はジュリアン・デュヴィヴィエ監督の
「巴里の空の下セーヌは流れる」に感謝を捧げようと思います。
パリの一角で暮らす人々の1日を描いた本作は
独特のスケール感を持った日常劇であります。
「パリ+約1日」という厳密な時間&空間的制約の中で
ホームドラマ、ロマンス、社会派、サスペンス、サクセス・ストーリーが
複雑且つ上品に絡み合うストーリー&演出は
私に物語作りにおける「スケール感の適性範囲を保つ」
「人生の中に物語の種子を見いだす」事の重要性と
複数のストーリー&キャラクターをバランス良く配合する技法の
一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。
(後年の米ドラマ「24」に通じる時間説明を
ストーリーから浮き上がることなく行っている点と
「カードの表裏として並び立つ悲劇とハッピー・エンド」
「新聞の社会&映画的効能」・「早朝という時間の持つ優しい空気」を
体現した幕切れとなっている点も見逃せません。)
まさに「時間&空間限定型短日常劇」の雄と呼ぶにふさわしい
作品であると言えるでしょう。
和やかさと危うさ、愛情と哀愁、娯楽的スリルと文学的神秘性の均整を保ち
複数の男女が織りなす短篇集的な物語を
「パリ」を主役とした一つの長編へとまとめ上げることによって
後年の映画&TVドラマに対する「道しるべ」の一つとなった本作と
生きて映画を観ることのできる幸せに深い感謝を!!!。