映画に感謝を捧ぐ! 「超隕石~ファンタスティック・フォース~」

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。

 今回はサム・アーヴィン監督の

 「超隕石~ファンタスティック・フォース~」に

 感謝を捧げようと思います。

 

 小惑星がもたらす脅威に立ち向かう

 人々の運命を描いた本作は

 災害系SF史上屈指の「和やかさ」に溢れた珍作であります。

 「アルマゲドン」風に幕を開けた後

 災害映画の法則に沿いながら

 穏やかな潜入アクションへと転じていくストーリー

 軽量感満載のCG映像

 状況設明台詞&字幕を多用する事によって
 
 スケール感を水増しする手法が一体となる光景は

 私に「死傷者」を極限まで抑制しつつ

 地球の危機風味を高める試みと

 勇敢さ&邪悪さと滑稽さを結ぶ絆の

 一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。

 (SF漫画的ハッタリ満載の邦題と

 凄まじいほどの「平和的解決」に心和まされる

 幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「穏健派災害系SF」の一翼を担う

 作品であると言えるでしょう。 

 省エネ的特殊効果、戦争ごっこ的アクション・シーン

 軽量級SF的ハッタリ+肩すかし精神が一堂に会した本作と

 生きて映画を観ることのできる幸せに深い感謝を!!!。

 映画に感謝を捧ぐ! 「僕の彼女はどこ?」

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。

 今回はダグラス・サーク監督の

 「僕の彼女はどこ?」に感謝を捧げようと思います。

 

 富豪「サム・フルトン」と彼を取り巻く人々の

 運命を描いた本作は

 和やかで鋭い皮肉に彩られたドタバタ喜劇であります。

 ホームドラマ、恋愛喜劇、ミュージカル

 サスペンスの手法を使い分けながら

 「富」に翻弄され、自分を見失っていく人々への

 警鐘を発するという試みによって

 生を受けたストーリー&演出、キャラクター造形は

 私に、娯楽映画的サービス精神と

 風刺精神が独特のバランスで共存する光景と

 急激な環境の変化が人心に与える悪影響を

 世に示す手法の一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。

 (喜劇における王道の一つ「一般人に扮する金持ち&権力者」に

 ありがちな結末に向かうと見せかけて

 肩すかしを食わせる幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「喜劇系人生&金銭論」の一翼を担う作品であると言えるでしょう。

 純真な男の「善意」によって周辺状況が悪化していく悲劇を

 喜劇風味全開で描くことによって

 華やかさと滑稽さ&虚しさを結ぶ縁と

 人生の神秘性を世に示した本作と

 生きて映画を見ることのできる幸せに深い感謝を!!!。
 

 

映画に感謝を捧ぐ! 「たくましき男(1937年版」)

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。

 今回はルーベン・マムーリアン監督の

 「たくましき男(1937年版)」に感謝を捧げようと思います。

 

 農場で石油を掘り当てた男「ピーター」と

 彼を取り巻く人々の運命を描いた本作は

 詰め込み感と奇策性に溢れた西部劇であります。

 ミュージカル的挿入歌、西部劇的装飾

 極道映画+ホームドラマ的人間模様

 風刺劇的メッセージ、アクション映画的暴力を詰め込みつつ

 銃を登場させることなく進行するストーリー&演出は

 私に「肉体&物量的サービス精神」へのこだわりと

 エネルギー資源&運搬テクノロジーの発展がもたらす軋轢を

 映画的に表現する試みの

 一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。
 
 (アクション映画的見せ場を作りつつ

 殺人&逮捕を一切行うことなく

 ハッピー・エンドにたどり着くという

 離れ業を成し遂げた幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「反銃系娯楽要素融合型西部劇」の

 一翼を担う作品であると言えるでしょう。

 西部劇の形態を取りながら銃撃戦への依存を避け

 肉体労働+肉弾戦、歌曲、人間模様、頭脳戦を活用した

 娯楽要素生成を追求することによって

 後年の映画に対する「道しるべ」の一つとなった本作と

 生きて映画を見ることのできる幸せに深い感謝を!!!。

 映画に感謝を捧ぐ! 「ディヴァイド」

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。
 
 今回はザヴィエ・ジャン監督の「ディヴァイド」に

 感謝を捧げようと思います。

 

 謎の爆発に襲われ、アパートの地下室へと避難した

 男女9人の運命を描いた本作は

 奇策性と現実感に包まれた災害映画であります。

 「世界の危機を題材としつつ、地下室の内&周辺の物語に徹する」

 「謎の解明&登場人物の背景描写を極限まで抑制する」

 「ホラー的残酷描写&ポルノ的性描写の多用」

 「不明瞭感の強い色彩の追求」によって生成された

 ストーリー&演出、キャラクター造形は

 私に「鑑賞者の心情&境遇を登場人物に近づける」試みと

 「ハッタリ精神、倹約精神、見世物精神を並び立たせる」手法の
 
 一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。

 (災害映画においてハッピー・エンドと見なされがちな「生還」を

 絶望への道であるかのように表現した

 幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「空間限定型災害系SF」史上屈指の

 陰鬱系怪作であると言えるでしょう。

 娯楽映画的サービス&作品世界の探求を

 徹底的に拒むかのような作劇法&映像技で

 世界崩壊を描いていく大胆さに圧倒される本作と

 生きて映画を見ることのできる幸せに深い感謝を!!!。

映画に感謝を捧ぐ! 「Lunch with Louie」

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。

 今回はピーター・ロビンソン監督の

 「Lunch with Louie」に感謝を捧げようと思います。

 

 公園のベンチで食事しようとする男と

 彼の前に現れた男の運命を描いた本作は

 視覚+音感的物語性に彩られた日常喜劇であります。

 台詞を極限まで抑制し

 効果音と動作によって登場人物の「交流」を

 進行させていくストーリー&演出は

 私に「効果音」の物語的活用法と

 映像で語る娯楽作品作りの一形態を

 目の当たりにする機会をもたらしました。

 (食事よりも「情」を選んだ男2人の後日談と
 
 動物と人間の種族を超えた友情を

 静かに写し出す幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「音響&体術系喜劇」の一翼を担う

 作品であると言えるでしょう。

 映画における効果音&体技の重要性と

 公園の持つ映画的可能性を象徴する本作と

 生きて映画を観ることのできる幸せに深い感謝を!!!。

映画に感謝を捧ぐ! 「白いドレスの女(1948年版)」

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。

 今回はピーター・ゴッドフリー監督の

 「白いドレスの女(1948年版)」に

 感謝を捧げようと思います。

 

 ウィルキー・コリンズの小説「白衣の女」を

 もとにして1948年に作られた本作は

 絵画+文学的スリル&サスペンスと狂気に彩られた

 巻き込まれ映画であります。

 推理小説的魅力と映像作品的魅力の共存を図りながら

 名家の富を奪うため、陰謀を巡らす男たちと

 彼らに翻弄され、心身共に追いつめられながらも
  
 信念&愛を貫こうとする少女達+来訪者の姿を

 描いていくストーリー&演出は

 私に、大衆娯楽性と文学性が独特のバランスで共存する光景と

 命よりも「精神」を破壊することに重きを置いた犯罪の

 一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。
 
 (勧善懲悪の爽快感と悲劇性

 和やかなユーモアとブラック・ユーモアが交錯する

 決着→幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「映像派館系陰謀劇入門」の

 一翼を担う作品であると言えるでしょう。

 スリル&サスペンス、神秘性、

 史劇風味が融合した映像+俳優&女優陣によって
 
 推理小説の映画化における最大の弱点

 「小説を読んでいる人は鑑賞前に真相を知っているため

 謎が解かれていく事による快感&驚きを感じにくい」を

 克服することに挑んだ本作と

 生きて映画を観ることのできる幸せに深い感謝を!!!。

映画に感謝を捧ぐ! 「画家と庭師とカンパーニュ」 

 映画弁護人GHM(西村哲也)です。

 今回はジャン・ベッケル監督の

 「画家と庭師とカンパーニュ」に

 感謝を捧げようと思います。

 

 画家「キャンバス」と庭師「ジャルダン」の運命を描いた本作は

 静かなる技巧&文学性に包まれた日常劇であります。

 難病映画要素、家族劇要素、人生訓、芸術論要素を融合させ

 風景美、舞台劇的台詞、回想描写を駆使しながら

 男2人の交流を静かに描いていく

 ストーリー&演出、キャラクター造形は

 私に「会話」主導で物語を進行させつつ

 説明過多&ストーリー展開の緩慢化を抑制する技法と

 人生に宿る「物語の種子」を生かした作劇法の

 一形態を目の当たりにする機会をもたらしました。

 (悲劇の中にあっても明るさ&優しさを失うまいとする姿に

 心打たれる幕切れとなっている点も見逃せません。)

 まさに「絵画+文学系日常劇」の一翼を担う作品であると言えるでしょう。

 絵画的映像美、文学的渋味、庶民的人間模様

 サスペンス的技術が静かに交錯する本作と

 生きて映画を見ることのできる幸せに深い感謝を!!!。